軍令部調製1万分の1硫黄島地図(作者所蔵)
 写真は軍令部水路部が作成した縮尺1万分の1の硫黄島全図である。
 図面の左上には「軍令部軍極秘」「処理法 用済後焼却」と記されている(リンク先はその部分の 拡大)。

 作成の日付は昭和19年6月29日であるから、測量などを行ったのは当然それより遡り、おそらく栗林兵団長着任以前の実測であろう。そのため 北飛行場(第三飛行場)は実際に着工された形とは違い、東西に一本だけの滑走路となっている。

 この地図が作製された直後の7月4日、硫黄島に対する艦砲射撃が行われ、大本営では上陸の可能性ありとして緊急の作戦研究会が開かれた。
 もし米軍上陸が実施されたなら6月のマリアナ沖海戦で残った水上部隊(第二艦隊)を突入させるという作戦が示されたが、同伴できる軽空母が1隻(「千代 田」)では充分な航空 支援が得られないとして、成算については悲観的な意見が多かった。
 結局この時には上陸が行われなかったので突入は見送られた。そして第二艦隊は10月のレイテ沖海戦で大損害を受け、硫黄島戦のときには艦隊を派遣する戦 力 は残っていなかった。後に19年7月よりさらに不利な状況下で戦艦「大和」などを沖縄に突入させたのは周知のとおりである。
 この地図がこの時の作戦会議で使われたものであるかは不明であるが、同等の資料は用意されていただろう。

 日本にとっては「極秘」扱いの地図であったが、サイパン・グアム陥落の後は米軍の航空偵察がしばしば行われ、さらに潜水艦による偵察も行われ たので、この地形・水深図レベルのデータは米軍も調査済みであった。そして上陸の時には硫黄島の立体模型(同じく1万分の1)まで製作し、作戦を練ってい たのである。

 なお、この地図は昭和19年当時の硫黄島村の各集落・民家の位置まで正確に記されている。当時の公図などが戦争で失われているため、集団疎開 直 前の島の状況を知る資料としても貴重なものである。

 蛇足ながら、2006年制作・公開の映画『硫黄島からの手紙』においては、この地図を複製したものが作品中で使用された。

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