市ヶ谷地下壕見学記
(平成5年晩秋)

  

 平成5年秋、当時大学生であった私は歴史の授業の一環として、市ヶ谷1号館を見学する機会を得た。市ヶ谷駐屯地はJR市ヶ谷駅からそう遠くないところにあるものの、高台の上にあるため、1号館の所へ行くのは意外と大変であった。

 案内役の自衛官が来て説明を始めたが、冒頭で「本日は大講堂は試験会場として使っておりますので、見学はできません」とのこと、残念ながら東京裁判の法廷は見られず、地下壕だけの見学となった。

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 長い階段を下りて地下壕へと向かう。10m以上は下りただろうか、かなり大きなトンネルにはいる。高さは5m近くある。十字路や丁字路が続くなか、ある十字路(というより部屋といった方が適切なくらい広々としている)で案内人が立ち止まり、上を見るように指示した。(下の写真の左)

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 トンネルの天井にあったのは、換気用の筒である。この奥には換気扇がついており、2つの換気口のうち1つの方は製造後50年を経た見学当時でもきちんと換気扇が動作していた。この換気口は地上に爆弾が落ちても爆風が吹き込まないように途中で折れ曲がっており、地上部分は石灯籠に似せて偽装されていた。(上の写真の右)

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 地下壕の中には、部屋のように区切られている一角がある。左上写真に見えるのは陸軍大臣の執務室として造られた場所である。

 市ヶ谷は高台にあるものの、非常に地下水が豊富にあるところである。実際、この地下壕も水はその豊富な地下水を利用するようになっていた。しかし、この地下水圧が地下壕を痛める原因にもなっていった。地下壕の壁や天井の各所に亀裂があり、そこから水が浸み出てきているのである。床の上にも大きな水たまりが出来ているところは少なくない。足下に注意するため俯きがちに歩く必要のある場所も多かった。(右上写真中の人物参照)これでは解体もやむを得なかったのかもしれない。

 私が見学に訪れてから約1年後の平成6年(1994)秋、遂にこの建物は解体された。その後、東京裁判に使われた大講堂と正面玄関部分だけを組み合わせ、記念館として市ヶ谷駐屯地の別の場所に移築された。下の写真は公開されて間もないころの記念館である。


(平成11年4月撮影)

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