河石達吾ゆかりの地を訪ねて
東能美島・大柿(広島県江田島市)
(大柿町は平成16年11月1日、江田島、能美、沖美町と合併して江田島市となった。)
大古小学校

 大正13年、河石は大古尋常小学校を111名中首席で卒業している。ちなみに戦後、文相・厚相・衆議院議長などを務めた政治家・灘尾弘吉もこの学校の出身(明治44年卒)である。

 なお、大柿町では昭和43年から55年まで、河石杯争奪水泳競技大会が開催されていた。
 現在、この大会は大柿町小中学校水上記録会と名を変えて継承されている。

明慶寺

 大柿にある河石家の菩提寺。江戸時代初期の開山であるが、現在の建物は19世紀初期のものである。

 戦前、河石達吾の親戚に台北帝国大学の教授を務めた医学者がおり、当時の教え子が台湾から墓参に来ることもあるという。

 ただし、河石達吾のお墓は最後に住んでいた神戸にある。

江田島

海軍兵学校

 河石達吾は昭和9年頃、出身地である東能美島と陸続きになっている江田島の海軍兵学校で水泳を教えていた。

 左上の赤レンガ造りの建物は海軍兵学校生徒館として知られる建物である。完成したのは明治26年(1893)、イギリス人の設計によるネオ・ルネッサンス様式の見事な建築物である。
 この建物は築100年以上を経た現在でも、海上自衛隊幹部候補生学校の校舎として利用されている。

 左下の建物は大講堂であり、こちらは大正6年(1917)の完成である。瀬戸内地方の御影石がふんだんに使用され、2000人の収容能力を持っている。
 現在でも、海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校の行事に講堂として使用されている。

 河石も当然、これらの建物を見ていたはずである。

海軍兵学校生徒館
海軍兵学校大講堂

広島市

修道学園(旧:修道中学校)

 江戸時代の藩校の流れをくむ広島県屈指の伝統校である。だが、河石が在学した頃の校舎は原爆で倒壊し、当時を偲ばせるものはない。

 河石・大横田・河津らの栄光を受け継ぎ、現在でも同校の水泳部は強豪として知られ、各大会で活躍している。

歩兵第11連隊慰霊碑(比治山陸軍墓地内)

 河石が最初の出征で所属した部隊が11連隊である。当時、中学卒業以上の学歴があると短期間で将校に登用される制度(特別幹部候補生制度)があり、河石もそれにより将校となった。

 河石が小隊長を務めていたとき隊が敵襲に遭った。弾雨の中へ無理な突撃を試みる部下に向かい「頭を低くしろ。全員生きて帰るんだ。無駄死にするんじゃない。」そう叫んで兵隊たちの上に覆い被さって敵の銃撃から守ったと、当時の部下たちの証言がある。

大阪府箕面市

箕面の滝

 箕面市の景勝地で、紅葉の名所として特に有名な箕面公園の奥にある高さ約33mの雄壮な滝であり、生前の河石達吾が特に愛した場所の一つである。
 箕面市桜ヶ丘にあった会社の独身寮に住んでいた頃、休日になると好んで滝の近くまで散歩に来ていたという。桜ヶ丘から箕面公園までは歩けばかなりの距離があり、滝の近くは起伏の多い道が続くが、河石にとってはちょうど良い運動だったであろう。

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