硫黄島戦の両軍の損害

. 日本軍 米 軍
戦死者(人)
陸 軍 12,723 海兵隊 5,931
海 軍 7,406 陸 軍
島 民 (82) 海 軍 881
小 計 20,129 小 計 6,821
戦傷者(人) 陸 軍 726 海兵隊 19,920
海 軍 294 陸 軍 1,917
島 民 (21) 海 軍 28
小 計 1,020 小 計 21,865
合  計 21,149 28,686
<解説 >
 日本軍の死傷者数は厚生労働省の調査による数字を採用した。なお、昭和42年刊行の防衛庁の「戦史叢書」では軍人の戦死19,900名、戦傷 1,033名としているため、この数字を引用している書物も多いが、戦没者についての主管官庁は厚生労働省であるため、同省の調査結果を採用した。ただ し同省の資料も正確とは言い切れず、実際には公式発表を上回る生還者(記録上は戦死者に含まれたままという)がいるとの話もあるし、逆に記録に残っていな い犠牲者が存在する可能性もある。なお、島民は軍属とし て徴用されていたため、犠牲者数もそれぞれの軍に含めて計上した。小笠原村の資料によれば、徴用されて戦死した島民の内訳は陸軍で12名、海軍で70名戦 死となっている。

 ところで、日本側の戦傷者については生還者の人数をもって示されることが多い。確かに、重傷で動けなくなっていたとこ ろを米軍に収容されたという生還者は多い。
 だが、自分の意志により投降した将兵の中には負傷兵とはいえない状態の者が相当いたことも事実であり、一部の戦記に見られる「軍属の一部を除き、負傷も せずに捕虜になった日本兵はいなかった」「日本軍負傷者1,033人(生還者全員)」といった表現には問題があると思われる。中には部隊単位で集団投降した例も存在することは事実である。
 ただし、現在となっては重傷者の数を正確に調査することは困難であること、また、日本兵の多くが戦闘開始前から栄養失調や病気に悩まされていたので、 「たとえ戦傷者とは言えなくても戦病者に近い状態での投降」であり、少なくとも「健康な状態で捕虜になった日本兵はいなかった」とみなすことは不自然では ないと判断し、慣例どおり戦傷者数と生還者数を同一のものとして扱った。
 なお、生還者の村井康彦陸軍中尉は「約半数近くは重傷者で、無傷のものは百名に満たないと記憶する」と回想している。このあたりが事実に近いのではない だろうか。
 また、捕虜200名前後とする書物もあるが、これは主要な戦闘が終 了して米軍が占領を宣言した3月中旬段階での数字である。

 アメリカ軍の死傷者数については海兵隊戦史にある数字であり、多くの本にも引用されているものであるが、他の米側記録と矛盾する点も あり、確実な数字であるとは言い切れない(特に陸軍の死傷者数については疑問あり)。なお、海兵隊員の戦死者数を約4,800名とする本もある。これは硫 黄島戦終了直後(3月末)の統計に基づく数字である。そのとき負傷して入院していた1,100名以上が回復せず後に死亡したため、その数を含めると上記の 数字とな る。

 なお、海兵隊の総指揮官であったH.スミス中将は以下のように回想している。
「将校36名、兵866名の兵力で上陸した普通の大隊が、戦いが終わったときには平均して将校16名、兵300名に減っていた。」
 そして上陸した大隊長(中佐クラス)24名のうち、19名が戦死するか重傷を負っていたのである。

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