「バロン西への投降勧告」考 〜 その真 偽と美談扱いについて 〜

 「オリンピックの英雄バロン西、君を失うことは惜しい。こちらに来なさい。我々は君を手厚く取り扱う。」
 硫黄島戦の末期、米軍が拡声器でこのように呼びかけたと書く戦記は少なからず存在する。悲惨な戦場における数少ない「美談」として紹介されているわけで あるが、これは事実なのであろうか。
 作者はこのエピソードを創作であると考える。そしてこの話を「美談」として扱うことにも問題があると考えている。それについての考察をここに記すこ とにする。

投降勧告は事実か

 この「投降勧告」は一般には「国境を越えたスポーツマンシップ」を伝える「美談」として扱われている。しかし作者は違う感想であった。「事実 なら、米軍は国際法よりも、感情論を優先させる組織だったことになる。」と感じたのが作者の第一印象である。

 なぜなら、先述のような投降勧告では、西は「オリンピックの英雄」だから助命する、という印象が極めて強い。このような「ある人物だけ特別扱 いする」ことを宣言するような投降勧告を米軍が行うものであろうか。これは視点を変えれば「他の日本兵を助けたり、手厚く取り扱うつもりはない」との意 味にもなるからである。国際法では、「相手が投降しても助命しない」と宣言することは明確に禁止されている(「ヘーグ陸戦条約」附属書第二 十三条)。いく ら日本軍が捕虜になることを拒否していたとはいえ、「一般の日本兵の生命・安全は保証しない」との宣言に解釈されかねない呼びかけを 行うことは問題のある行為であろう。実態はどうであれ(注)、米 軍は「正義」を売り物にして いる軍隊であり、このようなことを公言するとは考えにくい。
(注)戦場心理や反日感情が加わり「日本兵を助命する必要などない」と考え、行動した米兵が存在したことは事実であ る。硫黄 島戦での例としては、ホイーラー著、堀江芳孝訳『地獄の戦場』(恒文社刊)に、ある米兵が投降してきた日本兵を復讐感情から射殺したと暗示させる記述があ る(同書327頁)。また、第五海兵師団のウィリアム=コープ中尉(後にコロンビア大学教授)は捕虜を収容所へ連行する途中、ある海兵隊員が「そいつを俺 に殺させてくれないか。("Do you want me to kill him?")」と話しかけてきたと回想している(作者への私信。この捕虜の帰国後の消息を追ったが、確認できなかった)。しかし個人での事例はあっても、 組織とし て「原則として日本兵の投降を認めない」という方針で行動した部隊はない。

 さらに、この呼びかけを聞いた他の日本兵が、「(投降しても)一般の日本兵の生命・安全は保証されない」と受け取ったならば、それまで以上に 玉砕・徹底抗戦の意 志を固めて米軍と闘い続けることになりかねない。米軍としては一人でも多くの日本兵に戦いを止めさせて自軍の損害を抑え、かつ日本人捕虜から情報を聞き 出す必要があり、それを基本方針としていたのである。したがって、「西ひとりを対象にしたような投降勧告」はこれと矛盾し、不自然に思われる。

 それでも、「日本人に対しては『国際法に基づき適切に扱うから投降しなさい』よりも、『バロン西のような惜しい人物を殺したくない』といった 呼びかけを行う方が、『アメリカは人道的な国だ』と思わせるのに有効であると考えたからではないか」との意見があるかもしれない。
 確かに、日本人の心情に訴えるのは法律論より人情話であろう。また、当時の日本人の多くは戦 時国際法についての知識が乏しかったし、知っていて もその重 要性を認識していたとは言い難い。そのあたりまで分析した上で「たとえ国際法上問題があっても、人情味を感じさせる呼びかけを行った方が、日本兵の投降 を促すのには効果的である」と米軍が考えた可能性はあるかもしれない。だが、米軍がそこまで考慮していたのなら、「バロン西」の名前を出した、つまり冒頭 に 掲げたような投降勧告を硫黄島 の全戦域で行うのではないだろうか。

 ところが、作者がこれまでに目を通した関係者の手記や記録、そして生還者への聴き取りから判断する限り、「オリンピックの英雄バロン 西」と米 軍が呼びかけるのを「確かに自分は聞い た」と明言した日本軍生還者はいない。捕虜収容所でバロン西の配属先、安否などを尋問された例さえもない。
 米国人による硫黄島戦記にもバロン西は登場するが、やはり、「オリンピック覇者に対する特別な投降勧告」について記したものはない。特に、米軍が組織を 挙げて西への投降勧告を行うならば語学将校が関わるであろうが、当の語学将校の回想録(E.G.サイデンステッカー『流れゆく日々』時事通信社)にも西に つい ての記述は一 切無い。
唯一、R.F.ニューカム の「硫黄島」(光人社NF文庫)は投降勧告に触れているが、その部分を引用すると、

 今は捕虜になってアメリカのために働いている西のかつての部下が、「西さん出てこい」と叫んでいるのが聞こえた。(317 頁)
 つまり、投降を呼びかけているのは米国人ではなく日本人であり、しかも「オリンピックの英雄・・・」などという言い方はしていないのである。たしかに、 日本人捕虜なら「オリンピックの英雄バロン西」ではなく「西連隊長」「西さん」と呼びかけるほうが自然である。ただし、ニューカムはこの一文を米側記録で はなく、日本 の小説(城山三郎「硫黄島に死す」)を元に書いた可能性が高いことを付け加えておく(第3章参照)
 仮に米側から西に対する投降勧告があったとしても、おそらく「西さん、出てきて下さい」という程度のもので、むしろ「西隊長、部下を連れて降伏してくだ さい」と いう意味合いが強かったのではないだろうか。つまり「オリンピックの英雄」ではなく「部隊指揮官」としての扱いであり、西個人に対してではなく、部隊全員 に対しての呼びかけともいえる。これについては傍証があり、三月中旬に東地区の陣地にいた村井康彦中尉は、連日行われていた日本軍への投降勧告で「軍使を 派遣せよ」 との呼びかけを聞いている。特定の個人に対して投降勧告をするのであれば「軍使の派遣」はありえず、これは責任ある者に対し、部隊全体の降伏・投降を求め ていたことを示すものといえる。

 作者のサイトでも「投降勧告ビラ」を紹介しているとおり、米軍は基本的には全ての 将兵に対して投降を求めている。硫黄 島戦の後期には、先に捕虜になった日本兵から情報を聞き出し「そこの陣地にいる○○さん、出てきなさい。」といった呼びかけを各地で行っており、下級将校 や下士官クラスで も「名指しでの投降勧告を受け、最終的に応じた」との回想は少なくない。指揮官クラスについては、歩兵第百四十五連隊長池田増雄大佐に対して第三海 兵師団長アースキン少将から投降勧告文が送られた例がある。さらにJ.マクリーン海兵隊中尉は捕虜にした下士官に案内させて栗林司令部壕に近づき、数百m 離れたところからスピーカーで降伏を呼びかけている(日本側の記録にもある)。決して「バロン西」だけに対して呼びかけが行われたのではない。(なお、米 軍は西が硫黄島に派遣されていることすら事前には知らなかったとする 証言も存在する。)
 確かにバロン西は米国人からも人気があり、他の日本人とは違う存在として見ていた米兵も多かったであろう。しかし投降勧告の際にはそのような感情論やス ポーツ マンシップではなく、戦時国際法に拠って多くの日本兵に対して呼びかけがなされたのが事実であるし、だからこそ約1千人の捕虜が生じたのである(日本兵は 全 員、重傷で動けない状態で捕らえられたというのは誇張であり、投降勧告に応じた例も多い)。
 「バロン西を名指しした投降勧告はなかった」ことを証明することは困難かもしれないが、「相手を特に指定しない投降勧告」又は「部隊全体への投降 勧告」 につ いては日米双 方から多くの資料・証言がある。したがって、「バロン西だけを特別に助けようとする」話は無かったという結論になる。

 では「美談」はどこで生み出されたのか。繰り返すが、「特定の人物のみ助ける」というのは「捕虜は殺さない」という前提とは矛盾する。した がって、「敗者は殺されても当然」と考えていた日本人ならではの発想であろう。実際、「殺すには惜しい人物と思ったので、この捕虜は釈放した」な どという回想を戦記などで目にすることもある。また、日本の古典文学、特に軍記物語などにも「才ある人が殺されるのを惜しむ」場面はしばしば見られる。 「バロン西への投降勧告」はこの発想の延長上にある話と考えて間違いあるまい。あるいは「西隊長(あるいは 「西さ ん」)」との呼びかけがあったとして、それが伝聞されるうちに「オリンピックの英雄バロン西」に置き換えられてしまったことも考えられる。置き換えの背景 には「西中佐なら特別扱いされただろう」との日本人の認識が当然関わっていよう。そしてまた、西竹一が騎兵・馬術家であり、貴族でもあったことから、「騎 士道」という語が連想されて伝説が拡がったのであろう。

 さらに言えば、「公法(ここでは戦時国際法)よりも「武士道」などの規範意識(ここではスポーツマンシップ)を優先させる話 に美しさを見いだす感性は、米国人より日本人に顕著なものと作者には思われる。その意味からもこの「美談」は日本人が創作したものと見るのが自然ではない だ ろうか。
 そして「バロン西への特別扱い」が米側記録にもあり、米国人の価値観でもこれを「美談」とするならば、もっと多くの米側戦記に特筆されそうなものである が、先述のとおりそのような例を作者は知らない。このエピソードは日本製かつ日本人向けの「感情の記憶」であると作者が判断する理由の一つである。

「美談」扱いの危うさ

 「バロン西への投降勧告」について当サイトに「事実ではない」と記したことについて、読者の方々からかなりの反響が寄せられた。また、マスコ ミの終戦特集や硫黄島関連の記事などにも「名指しの投降勧告」は取り上げられたが、その多くに共通しているのが「事実なら『美談』・・」という見方で ある。だが、作者はこれを安易に「美談」とすることには異議がある。
 これまでも書いてきたように、「捕虜はすべて国際法に従って手篤く取り扱う」という考え方を基準にすれば、「相手を選別した投降勧告」はむしろ問 題行為 である ということになる。これを「美談」として受け止める一因は「敗者は殺されても当然」という考え方が基準になっているからではないか。しかし近代以前の日本 人同士の戦 いにつ いてならともかく、20世紀の対外戦争の話であれば、その時点での「戦時国際法」を基準として考え る必要があろ う。
 今でも「相手を選別した投降勧告」を「美談」として扱う記述があることについて、「日本人は当時も今も国際ルールを無視している」と考える外国人がいて も不思議ではない。「日本人の価値観・美意識は大切な文化であり、外国人がとやかくいうものではない」との意見もあろうが、そのように判断されてしまうリ スクだけ は考慮しておくべきであろう。

 もうひとつ「命の選別」という問題がある。「オリンピック覇者だからぜひ助けたい」という考え方は「他の生命はともかく」という一面をも含ん でいる。バロン西が「悲劇の英雄」として描かれることはともかく、「惜しい人物を亡くした」と強調されることに「他の戦死者もみな『惜しまれるべき生命』 を失ったではないか」と不満をもつ遺族がいることは事実である。作者も、「硫黄島で亡くなった日本人は2人ではなく、2万人なのです」と訴える遺族に会っ たことがある。もちろん、栗林中将と西中佐の2人にばかり光が当てられることへの不満である。同様の傾向は「学徒出陣」関係の記述にも見受けられる。「将 来ある惜しい人材を失った」と いうことは誰も否定しないが、「彼らは特別に、安全な場所で温存しておくべきであった」などという意味合いの表現に対して、「将来があったのはエリート学 生だけで はない」と反発している他の元兵 士や遺族は少なくない。
 「特別扱い」という「命の選別」は時として必要悪なのかもしれない。だが、美談としてもてはやすものではあるまい。また、特別扱いの対象外となった犠牲 者の存在を忘れてはなるまい。

おわりに

 なお、「バロン西」に対する呼びかけとその最期については、大野芳著『オリンポスの使徒 「バロン西」伝説 はなぜ生ま れたか』(文藝春秋刊 1984年)が先行の、かつ精細な調査・考察としてあるので、興味のある方には一読をお薦めしたい。補足したい点 (それを記したのが この稿である)や異論(第2章以降参照)もあるが、同書は西竹一の伝記としても秀逸である。
 その中から一文を引用してこの論を終えることにする。

 「いうまでもなく、伝説が事実でないことが証明されたからといって、西そのものへの評価が変わることはない。(中略) 評 価ということを言うならば、伝説が生まれたという事実にこそ、西を評価すべき点があるだろう。」(同書255頁)
(初出:平成16年8月1日、最終更新:平成19年11月3日)

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