5.硫黄島写真館(その1)

・硫黄島戦戦跡

摺鉢山の周辺に残る海軍の砲陣地跡

海軍砲1
海軍砲2
 摺鉢山周辺には旧式戦艦の副砲として使われていた14cm砲などが配置された。右の写真を見ると、分厚い鉄筋コンクリートの壁が破壊されていることが判り、米艦隊の砲撃の激しさを今に伝えている。米軍上陸から3日目の2月21日付に発せられた海軍部隊からの電報には「尚150糎ノ厚キコンクリート掩蓋モ敵ニ発見サルレバ忽チ破壊セラル、偽装予備陣地ハ「コンクリート」掩蓋ニ優ル」とあり、大型の砲を堅固な陣地に備えつけても発見されしだい破壊されるので、8cmクラスの移動可能な砲を偽装された陣地に配備する方が有効である旨の戦訓を伝えている。
 この砲台については、「米軍上陸後に発砲する計画だったのに、事前に発砲してしまったため位置を暴露し、米軍の反撃にあって全滅した。」として、日米双方の戦史に「勇み足」「日本側唯一の失敗」などと書かれ、発砲した海軍部隊を批判している本が多い。
 だが、「砲台が発砲したときにはすでに連日の艦砲射撃で全滅寸前であった。決して功を焦ったのではなく、全滅前に一矢報いんとしての行為である」との主張もある。実際のところ、米軍は事前の偵察で海軍砲台の位置をかなり把握していたことも明らかになっている。発砲前から猛烈な砲爆撃が加えられていたと見るべきであり、「勇み足」「失敗」との見方は誤りであろう。 
島内に今も残る地下壕跡

地下壕入口      連絡壕

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連絡壕2    垂直壕

 島内には今もなお多くの地下壕が残っている。ここにあげたものは連絡壕と呼ばれるものであり、大きな地下壕同士を繋ぐものである。上の写真でおわかりのように天井は低く、幅も狭い。場所によっては熱気が猛烈で、ガスのため見通しが悪いところも少なくない。奥深い壕だと酸素の有無を確認するため、ロウソクを持って入らないと危険な所もある。さらに硫黄ガスが立ちこめるため、防毒マスクとガス検知器を持った自衛官でないと立ち入りが不可能な地下壕もあるほどで、遺骨の捜索や収集も時として命懸けであろう。

 地下壕の奥でガスと地熱のために窒息死するか、外へ出て銃砲弾で戦死するか、それが大部分の守備兵を待ち受けていた運命であった。

日本軍のトーチカ

トーチカ1
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トーチカ2
 地下壕だけでなく、トーチカも多く造られた。特に海軍は陸軍よりはセメントなどを確保していたため、半地下式の陣地を各所に設置した。左上は、海軍航空隊の司令部として使われた建物で、昭和19年11月26日の夜、第1次御盾特別攻撃隊の隊員がマリアナ奇襲のための作戦会議を行った場所でもある。現在記念館として使われている。(窓を閉めた車内より撮影したため、やや不自然なところがあります。)

 右上は森の中に半没したような状態で残っていたトーチカである。内部には海軍の13ミリ機銃が残されていた。

   

1.位置とあらまし   .  2.戦跡を訪ねて(その1) 3.戦跡を訪ねて(その2)
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4.硫黄島の自然    , 5.硫黄島写真館(その1) 6.硫黄島写真館(その2)
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7.遺品返還の記   . 8.もう一人のメダリスト 9.硫黄島戦資料他   
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10.小笠原・火山列島資料 11.エピローグ・・・   
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