エピローグ
 硫黄島攻防戦の後、米軍は島を整備し、本州を空襲するB29の緊急着陸、補給基地として使うようになりました。このため、B29は以前よりも多くの爆弾を積めるようになり(最大で3倍)、さらに硫黄島からP51戦闘機を護衛につけることにより昼間も空襲を行えるようになりました。余裕が出来た爆撃機は低空からじっくりと照準を合わせることも可能になり、爆撃の精度も向上し、日本の各都市はたちまち焼け野原になっていきました。また、P51は各地で機銃掃射を行ったため、都市部だけではなく、郊外も安全な場所ではなくなりました。
 そして海兵隊は硫黄島戦の教訓から、次の沖縄戦では「鉄の暴風」といわれるほどの支援砲爆撃と、火炎放射器により徹底した洞窟陣地の攻撃を行いました。そうでなければ隠れている日本軍の反撃にあうと判断したからです。この結果、日本軍だけでなく沖縄県民も砲火の中に巻き込まれ、3ヶ月にわたり悲惨な闘いが続けられました。そして硫黄島戦終了の約5ヶ月後、日本は降伏します。
 昭和27年(1952)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により日本は再び独立を回復しますが、小笠原諸島はその後もアメリカの統治下に置かれ、小笠原諸島・硫黄島が返還されたのは昭和43年(1968)6月26日のことでした。

 戦後、戦争といえば飢えや空襲など、戦場よりも後方の庶民の悲惨さを強調する語られ方が一般化しました。(庶民の生活の場がそのまま戦場になった沖縄戦は別ですが。)そのため硫黄島の攻防戦は東京大空襲などのかげに隠れています。しかし、硫黄島の日本兵たちが、勝つどころか、生還の望みもない戦いを最期まで続けたことをもう一度見直してもよいと思います。そしてその戦いは、火山ガスと地熱のこもる地下陣地で、食料も水も不十分な状態で1ヶ月以上にわたるという史上まれにみるものだったのです。彼らをここまで戦わせたのは「生きて虜囚の辱めを受けず」という東條英機の訓示(「戦陣訓」)だったのでしょうか。私は違うと考えます。硫黄島の日本兵は、自分たちの抵抗が少しでも本土空襲を妨害し、本土決戦を遅らせることになると信じていたからこそ、あれだけ苦しい戦いを続けられたのだと思います。少なくとも、アメリカが本土空襲の支援基地として硫黄島を使うことを1ヶ月近く遅らせたことは確かです。これがもっと早く実現していれば、東京大空襲などの首都圏への空襲はより激烈に行われ、より多くの犠牲者を出したでしょう。ですから硫黄島の日本兵は自分たちの生命と引き替えに、多くの日本国民を空襲から救ったのだと私は信じています。また、栗林中将の判断で、小笠原・硫黄島の住民が早いうちに、しかも十分な護衛付きで本土に疎開できたことにより、島民が戦禍に巻き込まれることを最小限に抑えられたことも知っておいて欲しいと思います。(旧硫黄島島民が戦後、帰住を認められていないという問題はありますが、これはGHQと日本政府の判断によるものであり、栗林兵団の責任ではありません。)ですから、こうした守備兵たちの勇戦を後世に語り伝えることは、戦争美化や軍国主義とは別の次元のものだと思います。

 現在の硫黄島に常駐しているのは海上および航空自衛隊員、そして飛行場の整備・改修工事にたずさわる東京防衛施設局職員と工事会社数社の作業員です。現在、訓練のとき以外は静かな島に見えますが、海難救助、および小笠原の急患を本土に運ぶ任務を果たすため、2ティームある救難隊が常に待機しています。そして海難事故などの発生時には2機の救難ヘリが捜索と救難にあたります。時には小笠原諸島での急病人を硫黄島の医療隊が治療したり、硫黄島経由で本土の病院へ運ぶこともあります。自衛隊の災害派遣というと大地震や大事故を連想しがちですが、実はこういったタイプの出動が一番多く、10日に1回ほどの出動となる年もあるということです。また、回数としてはわずかですが、南硫黄島や南鳥島のような、一般の船では近づくのが困難な場所での学術調査などのために硫黄島の自衛隊が協力することもあります。

 荒天下でも救命活動などを行う彼らは自然と闘う現在の勇敢な戦士であり、硫黄島戦を戦ったかつての兵士たちと並び、もっとその活躍を知られるべきでしょう。

このページで流れる曲、「故郷の廃家」について

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参考文献リスト

「写真・資料の使用・リンクについてのお願い」

硫黄島取材協力:海上自衛隊・航空自衛隊・東京防衛施設局・鹿島建設(株)

写真撮影:作者及び同行者 

追記:
 ページ開設後、硫黄島戦の生還者・御遺族の方々からも多くの貴重な証言や資料をいただきました。また、各地での取材に応じて下さった方、その他の御協力いただいた方々に対しましても、この場で厚く御礼申し上げます。

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